公認会計士はNumber風にベイスターズを語る

公認会計士の中で最も横浜ベイスターズファンと自負するファンがひたすらベイ愛を語るブログ。ただそれだけ。

好きな応援歌をただ挙げていく(個人応援歌編)

 

 

個人的に好きな応援歌をベイスターズ関係なくあげていきます。現地観戦の醍醐味はやはり応援歌。どうせ行くなら有名選手の応援歌は覚えていくと楽しいです。セリーグ多めです。

 

 

 

山川穂高 (西武ライオンズ)

 

山川穂高ここで一発 高らかにアーチ描こうぜ 皆の願いバットにのせて 飛ばせ遥か彼方まで

 

www.youtube.com

 

交流戦で数試合聞いただけで耳に残ってしまうこの独特なメロディーと山川の特徴にぴったりあった歌詞。観戦後帰りの電車で気づいたら口ずさんでいること多数。

 

 

長野久義 (読売ジャイアンツ)

 

 

www.youtube.com

 

前奏:オーオーオーオーオーオオオー 君よこの歌と君よこの声に今 共鳴起こせ
一筋貫く 夢の弾道 飛ばせ長野 放て長野 オオオオオオ ここまで

 

巨人は入団した選手に即座に応援歌を付けるので、選手の特徴をイマイチ捉えてないというか無難な歌が多いけど、たまに発生する名曲はずば抜けて良い。前奏からウキウキで巨人ファンが歌っているのが東京ドームでよく見られます。

 

 

ダヤン・ビシエド チャンテ (中日ドラゴンズ)

 

www.youtube.com

 

(曲) ビシエド (曲) ホームラン
勝負強さ煌めき エルタンケ打て

 

ビシエド個人に与えられたチャンステーマ。チャンス時かつ打者がビシエドの場合のみ発動するちょっと珍しいテーマ。中日ファンが一番活き活きする時間。ビジター応援の時は声量がでかい。ちなみにエルタンケはスペイン語で戦車の意味。

 

 

 

菊池涼介 (広島カープ)

 

www.youtube.com

 

前奏:始まりの鐘が鳴る 広島伝説
光を追い越して メーター振りきり駆け抜けろ 止まらないぜ 韋駄天菊池

 

広島の応援と言えばこれみたいなとこある菊池の応援歌。スクワット応援ともすごくマッチしてて広島側のスタンドが映える。2016年廣瀬から引き継いだ前奏だけど、その年からカープは3連覇を果たしてるし、ファン的にはかなり思い入れあるのではないかと想像。

 

 

山田哲人

 

www.youtube.com

 

ザッツスター選手のためのような歌詞と、ついやってしまいたくなる前奏。神宮で一塁側座ったときとかはヤクルトファンに混ざってやってしまう。筒香もそうだけど侍ジャパンの応援とかでみんなで一体感出せるのがいいね。応援の本質。

 

 

ユリエスキ・グリエル (横浜ベイスターズ)

 

 

浜風に吹かれて 美しく 咲き誇れグリエル 世界変える男

 

思い出補正もあるかもだけど、2015年在籍のグリエル応援歌は個人的にめちゃ好き。前奏はグリエルの故郷キューバの国歌をモチーフにしており、歌に入るまでの高揚感が最高。ベイスターズは良曲が多いけど、最近は歌詞詰め込み過ぎて食傷気味なのでこんくらいシンプルな歌詞が良いと思う。

 

 

 

アレックス・ラミレス (横浜)

www.youtube.com

 

前奏:(演奏)オイ! (演奏)オイ! (演奏)アーレックス・ラミレス! (演奏)オイ! (演奏)オイ!
目の前にいる敵を 一撃で蹴散らせ 飛ばせ遥か彼方 見せつけろラミレス

 

今や長期政権5年目に突入するラミレス監督の引退直前にベイスターズで活躍していた時の曲。かなり好きです。前奏は今試合前応援とかにも使われてます。

 

 

 

仁志敏久 (横浜)

 

www.youtube.com

 

誇らしき一振りは 努力の証 揺るがぬ 志で 今突き進め

 

巨人で活躍した仁志が横浜に来た時に使われた応援歌。仁志琢朗の1,2番コンビが機能していた2007年は楽しかった記憶。

 

 

 

 

あげだすとキリがないのでこの辺で。いつかチャンテ祭りやります。

モーガンとかいうDeの心を離さないクレイジーなお祭り男

 

 

2013年、間違いなくベイスターズは熱くて楽しかった。バカみたいに打たれてバカみたいに打ち返して、バカみたいに負けまくった。5点差なんて関係ない。7点差もひっくり返した伝説の巨人戦もあの年だ。順位なんて関係ないこれが野球の面白さ。弱くたって楽しければいい。

 

 

 

そう、あの暗いトンネルからファンが久しぶりに弱くても野球が「楽しい」と言えたあの年。中心にはあの選手がいた。ガッツ溢れるプレーと不可解なポーズで瞬く間にベンチとファンを一体化させ、風のように1年で去っていったあのクレイジー野郎。1年のプレー期間で今でもファンの心に残り続け、あそこまで愛される選手を俺は知らない。

 

 

 

今日はナイジャー・モーガンの話だ。

 

 

number.bunshun.jp

 

 

 

MLB屈指のクレイジーな問題児として来日したモーガン

 

 

モーガンは2013年、横浜にやってきた。この時既にマイナーリーグも含めるとメジャー時代のキャリアは10年で、33歳で日本に来たことになる。

 

 

 

ベイスターズによるモーガン獲得報道が出るやいなや、来日前からMLB時代のクレイジーエピソードが広まり始め、ファンは戦々恐々とした。以下モーガンの問題児っぷりを列挙する。

 

 

① 相手選手の放った大飛球に対してフェンス際でジャンピングキャッチを試みるも失敗、フェアグラウンド内に転がるボールに気づかないモーガンは自分がボールをスタンドに叩き込んでしまったと勘違いし、激昂。グラブを地面に叩きつけてボールと反対方向に歩きランニングホームランを献上。

② ヤジに怒ってスタンドにボールを投げつけファンを負傷させる。

③ けん制死を監督に諫められ逆ギレ。打順降格となった翌日全然関係ない相手捕手にタックル。

④ 余裕セーフのタイミングで相手捕手にタックルし負傷させる。報復死球を食らうが負けじとすぐさま大差ながら二盗、三盗をしかけ煽る。次の打席でまた報復死球を食らい大乱闘を起こす。四人退場となる。

⑤ 三振した後紙たばこを相手投手に投げつけ乱闘を引き起こす。

 

 

 

 

 

ファンは身構えた。

 

 

 

明るいキャラでキャンプで目立つもパッとしない出だし

 

 

そんな前評判と共に来日したモーガンは当初からハイテンションだった。彼はMLB時代から愛用している「T」を両掌でつくるTポーズを連発した。これはモーガンが野球選手の際に使用する「トニー・プラッシュ」という別人格のイニシャルである。ヒットを打った時、ファンの声援にこたえる時、サインするとき、すれ違いざまに、Tポーズを連発し、面白外人の地位を早速確立した。オープン戦の成績はさっぱりだった。

 

 

 

開幕しても成績はさっぱりだった。開幕から1か月で打率.132、守備もイマイチ、4月20日には調整のため2軍送りとなった。5月に復帰されるも期待される成績とは程遠く、ベンチを盛り上げてはくれるが、ダメ外人、ネタ外人、日焼けした左打ちの稀哲と散々な言われようだった。

 

 

 

しかし本人は、どこ吹く風。「俺はスロースターターだから調子をあげるのは6月以降」ときっぱり宣言していた。ファンは大半が信じていなかったが、本当に6月以降にモーガン旋風が巻き起こることになるとはまだこの時知る由もなかったわけである。

 

 

 

 

覚醒する「T」の申し子モーガン

 

 

6月15日の西武戦で人生初の3番DHを任されると、牧田から逆転のスリーランホームラン、バントヒットなどで大暴れをし初のお立ち台にあがる。ここを皮切りにモーガンは打ちまくる。

 

 

 

www.youtube.com

 

 

ホームランをバカスカ打つと思えば、絶妙なセーフティバントで一塁エキサイティングシート付近まで駆け抜けファンにTポーズ。センターライトの守備では持ち前の快足を飛ばして縦横無尽に駆け巡りファインプレーを連発。捕球してアウトを取る度に外野スタンドに向かってTポーズ。

 

 

www.youtube.com

 

 

 

最初は一人でやっていたTポーズも瞬く間にチームに浸透し、チームは謎のイニシャルT集団と化し、ファンもモーガンを目にすればTポーズ。モーガンは完全にチームとファンを一体化させ、虜にした。

 

 

 

不安視されていた素行も、蓋を開けてみれば非常に優等生な受け答えに献身的なプレースタイル。なによりモーガンは日本の野球を愛していた。メジャーではこのTポーズは真面目にプレーをしていない、相手を侮辱すると捉えられあまり快く受け取られないことが少なくなかった。一方で日本ではチームが、ファンがモーガンのスタイルを受け入れみんなが真似をした。メジャーではないファンが応援歌を歌うというスタイルも気に入っており、モーガンの応援歌に合わせてモーガンが打席をコンコンコンとバットでたたく姿はファンの記憶に残っている。

 

 

 

 

モーガンが残したものは大きい

 

 

結局モーガンは2014年の契約で折り合いがつかず、一年で日本球界を去ってしまった。モーガンとTポーズはファンの心に刻まれたまま姿を消したのだ。

 

 

 

今となっては休日平日問わず満員御礼の横浜スタジアムであり、ファンとチームの一体感が売りのDeNAだが、暗く、ファンと選手の心が離れていた2010年前後の数年間、そこから人気球団への変貌を遂げる鐘を鳴らしたのはたしかにモーガンだった。

 

 

 

トニープラッシュという別人格も「野球選手はエンターテイナー。観客にみせる試合は舞台と一緒」という持論から作り出した、モーガンなりの答えである。

 

 

 

ファンを楽しませることを常に意識したプレー、言動。ファンを楽しませるためならどんなことでも率先して行動する。そういう空気が今チームにはある。ここが人気球団に変わった理由だ。モーガンベイスターズに残したものは大きかったと言わざるをえない。

 

 

 

 

 

 

 

 

2014年に君臨した三上朋也を覚えているか

 

 

まだ親会社がTBSからDeNAに変わって間もないDeNAベイスターズ黎明期の2012年から2015年、チームは6位、6位、5位、6位と沈み続けるが確実に魅力ある選手が台頭し何かが変わろうとしていたあの時代。多くは語られないが魅力が詰まった忘れられない年がある。

 

 

 

三上朋也がストッパーに君臨した2014年シーズンである。

 

 

 

 

三上は現在チームの選手会長を務め、ブルペンリーダーを務めるベイスターズ投手陣の兄貴的存在だ。今年31歳になり、7年目のシーズンを迎える。

 

 

number.bunshun.jp

 

 

 

アマ時代三上朋也。大学社会人とエリート街道を進む。

 

 

 

 

三上は岐阜県立岐阜商業高校で2年生の時に一度甲子園に出場している。投手に転向したのは3年生の時だ。高校卒業時はその打力と190センチを超える恵まれた体格に投手まで務める強肩を買われて複数の球団が"野手"として獲得を目指したが、投手に拘る三上は法政大学に進学し、東京六大学野球に身を投じる。

 

 

 

六大学リーグでは通算10勝8敗、防御率2.52という成績を残すがドラフト指名は受けられず、大学卒業後は名門JX-ENEOS野球部へと進む。ここで2年目の際には先発投手として活躍し、JX-ENEOS都市対抗野球大会の連覇に貢献する。

 

 

 

そして見事2013年のドラフト会議にて横浜ベイスターズから4巡目で指名を受け、ついに24歳でプロ野球の門戸を開くのである。

 

 

 

 

いきなりの抜擢に驚かされたファン

 

 

 

三上の初登板は2014年シーズン開幕後すぐ訪れる。3月28日のヤクルト戦で2番手として登場。この試合含め、8試合12イニング連続で無失点に抑える活躍をやってのける。そして開幕からクローザーを任されていたソーサ(山口俊もたしか開幕不調で先発転向したのもこの年)の代役として「人生で初めて」というクローザーを任される。

 

 

 

圧倒的だった。打者を見下すような威圧感。まさに君臨していた。上手投げと横手投げを使い分け、キレキレの直球をバシバシ投げ込み、キレキレのスライダーで打者の腰を引かせ三振を量産する。しばらくベイスターズでこんな強気にキレキレの投球をする中継ぎピッチャーがいなかったのもあって(完全に山口のイメージだが)、ファンは三上にすぐ惚れた。

 

 

www.youtube.com

 

 

結局この年三上はシーズン最後までクローザーをやり遂げ、65試合登板し防御率2.33、21セーブと13ホールドと堂々の成績を残す(新人王は圧倒的得票差でカープの大瀬良)。チームは4月の大量の借金が響き最終的に5位に終わったものの、5月以降は勝率が5割を1回も切らないという快挙で、チームは確実に強くなっていったことを感じさせたシーズンだった。

 

 

 

 

DeNAの躍進は三上と共にあり

 

 

 

2015年シーズンも当然引き続きクローザーとして活躍してくれると思っていたが、春先の故障で出遅れてしまい、その間にこれまたその年のルーキーの山﨑康晃がクローザーとして定着してしまったので、以後三上はセットアッパーとして投手陣を支えている。

 

 

 

2015年は結果21試合の登板にとどまったが、2016年は59試合、2017年は61試合(この年少し調子崩してた)、2018年は65試合と大車輪の活躍をしている。調子を崩す年もあるがこうやって継続的にどこの場面でも登板して安定的成績を残せる選手はなかなかいない。三上と共にベイスターズは成長し、この間初のCS、18年ぶりの日本シリーズ進出を果たしている。ここ数年の躍進は三上抜きでは語れないのだ。

 

 

 

 

セットアッパーとしての役割がメインだが、お呼びがかかれば負け試合だろうが敗戦処理だろうが黙々と打者を斬り続ける。様々な場面でこの数年三上が投げ続けていることはファンは見ている。

 

 

 

だからファンもチームメートも三上が大好きだ。人間的信頼も厚く、ブルペンではリーダーを務め、チーム全体としては選手会長も務める器だ。ファン目線から見ても三上はめちゃくちゃいい人だ。2月の沖縄キャンプ行けばわかる。

 

 

 

 

2020年の三上の復活をファンは心待ちにしている

 

 

実は三上は長年の勤続疲労から2019年は肘のクリーニング手術行っており、6試合の登板に終わっている。

 

 

 

21年ぶりの優勝に迫っていた2019年にその場に入れなかった分、悔しい思いも感じながらも三上は冷静だった。これからも長く続くプロ生活、自分の身体と向き合って最善の選択を選ぶこと、そして第一線で活躍できなくてもチームと自分を客観的に観て腐らずにやっていける感覚を再確認したという。肘はもう、完治している。

 

 

 

また一回り成長したチームに頼れる兄貴が帰ってくる。2年ぶりに見る三上は、頼れる兄貴は今年ファンに、また一つ大きくなった三上朋也を見せてくれるに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハマのバットマン宮崎敏郎の華について語りたい

 

 

 

スター選手には華がある。中学高校時代からスター街道を駆け上ってプロの世界に来る選手、大学まで野球エリート街道をひた走り満を持してドラフト上位でプロ野球に参入する選手にはどこか華があるのだ。球場で、テレビでプレイを見せるだけでファンを虜にする華が。

 

 

 

一方で経歴は全くの無名高校出身、大学でもドラフトにかからず、嘘をついてまで社会人野球にすがりつきプロの門をこじ開け、今はセ・リーグを代表する右打者になった一味違う華をもった選手がいる。

 

 

 

今日は宮崎敏郎について語ろう。

 

 

 

 

アマ時代は全くの無名

 

 

 

 

 

佐賀県厳木(きゅうらぎ)高校時代は4番投手を務めると共に高校通算で公式戦だけで24本の本塁打を放つも甲子園とは無縁だった。大学は日本文理大学へ進学し、1年秋からレギュラーとして定着する。九州大学リーグでは2度の首位打者、3度のMVP、ベストナインを獲得するもドラフト指名されることはなかった。

 

 

 

宮崎はプロの道を諦めることはなく、社会人野球への就職を試みるがここで10社以上から採用を見送られる。類まれな打撃能力は評価されても身長は172センチと大きくなく、守備も上手くない(後のプロ入り時点でも守備は上手くなかったが、現在宮崎はゴールデングラブ賞を受賞するほど守備が上手い)。見た目も華がなく豆タンクのような風貌とあってはどこの社会人チームも獲得に二の足を踏んだのであろう。

 

 

 

そこで宮崎を拾ったのがセガサミーだった。この時宮崎はセガサミーに1度も守ったことがない『ショートできますか?』と聞かれ、『はい、できます』と嘘をつき採用されている。

 

 

 

 

主にセガサミー二塁手としてレギュラーを張り、第83回都市対抗野球の初戦日本通運戦で逆転本塁打を放つなど勝負強い打撃を印象付ける。

 

 

 

そして迎えた2012年NPBドラフト会議でついに宮崎にプロの門戸が開かれる。横浜ベイスターズから第6巡目の指名を受ける。その年支配下指名を受けた選手全体70名のうち60番目の指名である。

 

 

 

 

宮崎はすぐに頭角を現すも、、

 

 

 

プロ入り後宮崎はすぐに頭角を現す。2013年6月2日には「6番・三塁手」として一軍で初めてのスタメンに起用される。第1打席で2点適時打を放ち、一軍での初安打と初打点を記録。8回裏の第4打席では、この年のセ・リーグの新人選手では最も早く一軍での初本塁打を放った。シーズン通算では、一軍公式戦33試合の出場で、2本塁打、5打点、打率.250を記録する。

 

 

 

しかし、さらなる活躍を期待された2014年シーズン、忘れもしない4月26日阪神戦、二塁手として出場していた宮崎は投手山口のバント処理の送球をよそ見により捕球し損なうという野球史に残るボーンヘッドを犯し、1軍登録を抹消される。その後も1軍のチャンスは訪れず、結果この年5試合の出場に留まりシーズンを終える。

 

 

見たい方は、、

www.youtube.com

 

 

めちゃくちゃ打撃期待していたのに、「ああ、終わったかもな」と正直あの時は思った。社会人卒のドラフト6位、2年目で26歳。一般的にいってすぐに結果を出さなければいけない立場の選手である。状況はかなり厳しかった。

 

 

 

しかし宮崎はパワーアップして戻ってくる

 

 

 

あのよそ見事件以来、1軍に呼ばれることがほとんどなくなった宮崎だったが、宮崎は決して折れることはなかった。問題のエラーから1年以上が経った2015年シーズン中盤から再び1軍で使われるようになり、58試合の出場を果たす。2016年は開幕当初からレギュラー争いを展開し惜しくも規定打席に届かなかったものの101試合の出場で打率.291、11本塁打、36打点と堂々の成績を残す。

 

 

 

そして2017年、完全にレギュラーに定着した宮崎は最終打率.323で首位打者を獲得しセ・リーグ三塁手部門でベストナインを獲得する。苦労人ここに報われり、である。

 

 

number.bunshun.jp

 

 

 

この年でプロ野球ファンは宮崎の打撃力の高さを認識するが宮崎の発展は止まらない。好成績を収めた次の年にスランプに陥るのでは、とのファンの心配をよそに、「長打を増やす」と宣言し、2018年シーズンは打率.318、自己最多の71打点、自己最多にしてチーム3位の28本塁打を放つ。

 

 

ここで宮崎の成績を並べてみるが、すごいのは試合に出れば出るほど成績が上がるのだ。

 


2013年 33試合 52打数13安打 .250 2本塁打

2014年 5試合 13打数2安打 .154 0本塁打

2015年 58試合 152打数44安打 .289 1本塁打

2016年 101試合 302打数88安打 .291 11本塁打

2017年 128試合 523打数155安打 .323 15本塁打

2018年 155試合 551打数175安打 .318 28本塁打

 

 

 

独特な打撃フォームから繰り出されるファンも信頼の宮崎の打撃だが、2015年あたりから再度宮崎が1軍で出場機会が増えてきたときにファンが驚いた、そして嬉しかったのが守備がめちゃくちゃ上手くなっていたことだ。あのエラーで2軍に漬けらていたあの期間、宮崎が大変な量の守備練習をこなしていたことが目に見えて分かったのだ。苦労人は腐らず、プロとしての階段を登っていた。2018年宮崎は三塁手としてゴールデングラブ賞を獲得する。

 

 

 

 

これからの宮崎がファンに見せてくれるものは

 

 

こんな歴史もあって宮崎はおじさんのファンが多い。宮崎を支えるのはおじさんとコアな女性ファンだ。紆余曲折を経て今年8年目のシーズンを迎える宮崎もすっかりチームの中心選手である。精神的支柱である筒香が抜けたチームの中で宮崎の在り方はまた変わっていくのだろう。

 

 

 

立場が変わっても宮崎の野球へのハングリーさはファンは魅了し続ける。これもまたプロ野球選手のひとつの華の姿なのだ。シーズンがなかなか始まらない厳しい状況が続くが、レフトへライトへ鋭くライナーを飛ばす宮崎の打撃をまた早くみたい。

 

 

 

 

今年の宮崎はファンにまたどんな景色を見せてくれるのだろう。

 

 

 

 

 

*草野球で宮崎のフォームの真似をしても絶対打てない

 

 

いい加減しろコロナよ。コロナで気づかされるプロ野球ファンの生産性。

コロナウイルスは絶対に侵してはいけない一線を越えてしまった。

 

 

 

 

 

ポストシーズンの有無で多少の違いはあるが、プロ野球のシーズンはだいたい10月いっぱいで終了する。プロ野球ファンは来シーズンが始まる4月までの約5か月間野球観戦を取り上げられることとなる。

 

 

 

 

シーズン中は週6で観れていた野球が見れなくなるオフシーズンはファンに厳しい冬だ。

 

 

 

 

各ファンはそれぞれ、秋のドラフトとトレード、FA移籍で全く生産性の無い来シーズンの戦力構想を思案し、秋季キャンプと春季キャンプで主力選手の仕上がりと若手の台頭に想いを馳せ、社会に何も生み出さない。

 

 

 

2月も半ばにもなるとオープン戦が始まり、いよいよプロ野球の開幕が目の前に迫っていることを実感し、仕事の手を緩める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこにきてこれだ。わかるかコロナよ。お前は推定1億人にも及ぶプロ野球ファンの心を折ったのだ。全国の野球好きは現在、心を病み覇気を失い食欲も無くし頬もコケ落ち目も窪み社内ではミスを連発し会社に多大な損害を与えそれでも謝る気すら起きずただただデスクの前で座っているだけのゾンビと化している。

 

 

 

 

いいか、昨今の日経平均株価の下落はコロナによる世界経済の急速な落ち込みによるものではない。プロ野球ファンのゾンビ化による企業への損害によるものだ。

 

 

 

 

 

断言しよう、一刻も早くプロ野球を開幕しなければこの日経株価の下落は止まることは無いだろう。

 

 

 

 

headlines.yahoo.co.jp

 

 

”この日は公式戦を開幕、再開させた際に選手や監督、スタッフ、観客を守る視点から専門家の助言を受け、対策、対応を細かく議論。応援に関しては「応援歌合唱、鳴り物使用の応援スタイルの変更と観客同士のハイタッチ等接触の禁止」が確認された。”

 

 

 

 

 

このニュースから専門家の中に野球観戦経験者がいないことが判明している。攻撃中は無言で点が入ってもその場で座って拍手。プロ野球はクラシックコンサートではない。これでは球場に行って野球が観る人がいなくなってしまう。来るのは球場に来てもぶつぶつと選手に文句を言うしかやることがないビールとかまぼこが手放せない自称野球通の生産性ゼロのおじさんだけだ。

 

 

 

 

 

これ以上の延期は野球通おじさんの生きがいを無くし、ビールとかまぼこの消費量が減る一方ですので、一刻も早い通常運転の再開とプロ野球ファンの社会参加を促したい。それのみです。

 

 

 

 

 

 

トイレットペーパーないなあ。

 

 

頼れる兄貴ホセ・ロペスについて語りたい

 

 

日本のプロ野球チームには数多くの外国人選手が所属しているが、いわゆる"助っ人外国人"がここまでチームの中心でキャプテンシ―を発揮しているのを見たことがない。

 

 

 

 

 

ホセ・ロペスだ。チームではスペイン語でやんちゃ坊主を意味する"チャモさん"の愛称で慕われる今年37歳のシーズンを迎えるベテラン選手だ。

 

 

 

 

ブランコがいたから、、

 

 

 

ロペスは2015年シーズンからベイスターズで活躍しており、怪我を除き常にベイスターズの正一塁手及び不動のクリーンアップを務める欠かせない選手となっている。

 

 

 

 

今となっては不動のレギュラーとしての地位を確立しているが、2014年シーズンオフに巨人を自由契約となったロペスがベイスターズに移籍すると発表された時、正直ベイファンは「あー、ロペスか。うん、まあ。」くらいの感じだった。

 

 

 

 

これはその年までベイスターズにいたトニ・ブランコという圧倒的な打撃力を有する助っ人がベイスターズにいたからだ。2013年シーズンは打率.333、41本塁打、136打点という圧倒的成績で2冠王に輝いていたが、2014年シーズンは怪我で成績を落としていた。

 

 

number.bunshun.jp

 

 

怪我で成績を落としたとはいえ、ファンは2015年もブランコとの契約を継続するものとばかり思っていたので、球団の決定が「ブランコを切って巨人を出されたロペスを取る」だったのは驚いた。

 

 

 

 

巨人時代のロペスは横浜スタジアムでよく打っていたのでベイファンの印象としては強打者感があったが、実際2014年のロペスの成績は打率.243、22本塁打、57打点であり怪我をしていたブランコと同じくらいだ。

 

 

 

一昨年の2冠王をクビにしてスケールの小さい選手をとるのか。。そんな風に思ったことを覚えている。

 

 

 

 

ロペスはバリバリのメジャーリーガーだった

 

 

日本のプロ野球にやってくる海外選手の背景は様々だが、その大半は自国での成績が振るわず契約を新天地に求めてやってくる選手が大半だ。メジャーリーグもしくは傘下の3Aからやってくる選手はそれなりの実績を持っているわけで、少なからずプライドがあり、日本のプロ野球を下に見ている選手は少なくない。

 

 

 

 

ただでさえ言葉も伝わらずチームメートとコミュニケーションが取りづらいにも関わらず、横柄な態度を取っていてはチームにも馴染めない。加えて日本の野球の傾向などの研究を重ねることもしないとなれば、おのずと結果は残せない。そうやって1年や2年で帰国する選手も多い。

 

 

 

 

ゆえに長く日本プロ野球で結果を残してきた名選手は日本の野球をリスペクトし、チームメートに馴染もうと積極的にコミュニケーションを取り、また勤勉だ。ロペスもそんな選手の一人だ。

 

 

 

 

ロペスは元々バリバリのメジャーリーガーだ。シアトル・マリナーズで4年間正二塁手を務めており、オールスターの出場経験もあるスター選手だ。イチローメジャーリーグのシーズン最多安打記録を達成した2004年もロペスの姿がそこにはある。

 

 

 

baseballking.jp

 

 

 

マリナーズの主力を数年務めたロペスだったが、2010年以降は成績が低迷し、メジャーリーグ及び傘下3Aのチームを転々とする。そんな中で日本に来たのが2013年シーズンだった。この時すでに30歳である。

 

 

 

 

巨人で日本プロ野球のキャリアをスタートさせた2013年、ロペスはまずまずの成績を残すものの、ポジションなどのチーム事情から2年で解雇となる。

 

 

 

 

DeNA移籍後のロペスは覚醒する

 

 

 

打撃面のスケールの小ささを心配されたロペスだったがベイスターズ移籍後一年目の2015年シーズン打率.291、25本塁打、73打点という好成績を残す。その後数年のシーズンも安定した成績を残し、2017年には最多安打打点王の成績を残す。

 

 

 

ここ数年のCS進出、日本シリーズ進出などのべイスターズの健闘はロペスの貢献によるところが大きい。これはファン全員の総意だ。

 

 

 

 

 

ロペスはリスペクトの気持ちを忘れない

 

 

 

成績的な面もそうだが、チームの精神的柱としての存在感も欠かせない。投手に一番近い一塁手として常に投手への声掛けする姿が印象的で、チームメートやスタッフへの気遣い、リスペクトも常に忘れず印象的なエピソードはたくさんある。

 

 

 

 

ベイスターズはシーズン中密着カメラがついている。シーズンオフにドキュメンタリーとしてまとめるのが目的だが、勝つときも負ける時も、良い時も悪い時もカメラは密着する。2018年シーズン救援に相次いで失敗した山﨑康晃に密着するカメラに対して、「カメラをとめろ!康晃の気持ちを考えろ!」と激昂するシーンがある。しかし後日カメラマンに対し、「昨日は申し訳なかった。あなたがたの仕事はカメラを回すことだと理解しているし、リスペクトしている」と謝罪している。紳士。

 

 

movie.walkerplus.com

 

 

 

 

またロペスは家族のことを一番に考える。常にヒーローインタビューでは家族の支えがあることを言葉にし、2019年シーズンで1000打点を達成した際、ロペスはお立ち台に家族を呼んでいる。

 

 

hochi.news

 

 

 

 

 チャモさんを観れるのはあと少し

 

 

日本でのシーズンも8シーズン目を迎え、今年37歳となるロペス。

 

 

 

ベイスターズでのキャリアを終えることを公言、また2020年まではやりたいねと言っていた通り、今年がロペスのキャリアの一つの区切りとなることは間違いないだろう。筒香が抜けた後の今シーズン、精神的支柱としてのロペスへの役割はさらに大きいものになる。

 

 

 

www.sponichi.co.jp

 

 

 

 

長い偉大なキャリアに裏付けられる確かなスキル、野球人としての生き方、家族想いの姿勢、チームメート・裏方スタッフへのリスペクト。

 

 

 

 

仮にロペスが現役を引退することになっても、その残してきたものはチームに長く根付くことだけは間違いない。

 

 

 

 

巨人時代でも達成できなかった日本一をこの節目のシーズンで、頼れる兄貴ロペスと心から分かち合いたい。

 

 

 

number.bunshun.jp

 

 

 

本当は誰よりも熱い男梶谷隆幸について語りたい

 

 

 

ファンの目から見てプロ野球選手の人間性は見えづらいものだ。

 

 

 

ファンへの対応、試合中のプレー、インタビュー記事、オフシーズンのバラエティー番組の出演、あらゆる情報からファンは選手像を作り上げる。それは時になんとも適当な思い込みに基づいており、本当の姿が見えていないことがある。そう思わせてくれたのが梶谷隆幸という選手だ。今年で32歳のシーズンを迎える。

 

 

 

 

「無気力」に見えてしまう梶谷

 

 

梶谷は数多くいるプロ野球選手の中でもトップクラスの肉体、運動能力を持ち走・攻・守で高いパフォーマンスを示す選手だ。特に走塁面ではレギュラーとして活躍し始めた2014年シーズンは39盗塁でセ・リーグ盗塁王に輝き、そこから4年連続で20盗塁をマークしている。

 

 

 

 

 

守備面では外野手へコンバートした2014年以降はその持ち前の守備範囲の広さと肩の強さでリーグトップクラスの守備指標数値の高さを示している。ファンの記憶には数多くのファインプレーが記憶されている。

 

 

 

 

打撃も梶谷の魅力の一つで、長打力があり勝負強い。実際にブレイクした2013年以降は15~20本程度の本塁打をコンスタントに記録しており2塁打も多い。2015年はリーグトップの得点圏打率(.352)を残している。

 

 

 

一方で打撃面で特徴的に語られるのは三振数の多さだ。規定打席に到達した2014年以降で見ると2014年135個(リーグワースト3位)、2015年132個(リーグワースト3位)、2016年110個(リーグワースト4位)、2017年157個(リーグワースト1位)とかなりの三振率の高さだ。勝負強く長打力もあるが、読みが外れた時はあっけない気のないスイングで三振する。ファンの率直な梶谷の打撃に対する印象だ。

 

 

 

また梶谷はプレイ中に喜怒哀楽を出さない選手であり、三振した時も特に悔しそうにするわけでもなく、ベンチに淡々と引き上げていく。そんな姿からファンは、「能力はあるけどイマイチガッツが足りずやる気が無さそうに見える」選手という印象を抱きがちだ。

 

 

number.bunshun.jp

 

 

 

 

ファンの「梶谷像」が間違っていたと気づかされたあの2016年CS

 

 

 

 

2016年10月8日、東京ドームは異様な熱気に包まれていた。

 

 

 

 

横浜ベイスターズが初めてクライマックスシリーズの舞台に立つのだ。

 

 

 

セ・リーグクライマックスシリーズが導入された2007年から9年、ベイスターズクライマックスシリーズの出場権である「3位以上」という成績を残せていなかった。12球団唯一のクライマックスシリーズ未出場である。

 

 

 

 

それが2016年シーズン、3位という結果を残しついにファン待望のクライマックスシリーズに出場する。

 

 

 

1stステージのチケットは争奪戦と化し、一塁側三塁側立ち見を問わず信じられないほど多くの横浜ファンが東京ドームに詰めかけた。その大半が普段オレンジタオルに染まる東京ドームの観客席が青く染まったあの光景は忘れられない。

 

www.sponichi.co.jp

 

 

 

スターティングメンバ―の中にはこの年打率.273本塁打18盗塁26という好成績を収めた梶谷隆幸が攻撃的2番として名を連ねていた。梶谷は第1戦でホームランを放つなど活躍するが、戦績は1勝1敗ともつれ、ファイナルステージへの進出は10月10日の第3戦に託される。

 

 

 

 

 

その第3戦1回表1死走者無し梶谷の第1打席、巨人先発内海が投じた8球目が梶谷の左手に直撃する。ベンチに一度戻った梶谷に代走関根が告げられる。左手薬指の骨折だった。

 

 

 

 

 

梶谷を失ったベイスターズだったが、その第3戦死闘の末巨人に勝利し、広島で行われるファイナルステージに進出する。梶谷の出場は絶望的と思われた。

 

 

 

 

 

しかしマツダスタジアムのグラウンドには梶谷の姿があった。ラミレス監督に出場を直訴し、薬指と小指をテーピングでガチガチに固め、それではグラブに指が入らないからと愛用していたグラブにハサミを入れていた。

 

 

 

 

そんな状態で梶谷はCSファイナルステージで敗退するまでの4試合をフルで出場し続けた。タイムリーを放ちホームランを放ち、守備ではダイビングキャッチでチームを救った。怪我をしていることをファンは忘れるほどだった。痛くないわけがない。骨が折れているのだ。

 

 

www.nikkansports.com

 

 

 

この時ファンは気づかされた。梶谷隆幸は誰よりも熱く勝利に執念を燃やす男だったことを。

 

 

 

 

梶谷隆幸はこのまま終わるわけがない

 

 

日本シリーズに進出した2017年まで梶谷はレギュラーとしてチームの主力を担ったが、ここ2年は怪我と若手の台頭で出場機会が減っている。

 

 

 

特に怪我が完治したと自分でも公言していた2019年シーズンに2軍暮らしが長くなったのは自らの年齢とチームの中でのポジションが若手に奪われつつあることを梶谷に実感させた。2軍生活では様々なことを考えて過ごしたと語っている。マイナスな考えに陥ることはあっても梶谷は決して腐ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 どれだけ若手が台頭してこようと、ファンは梶谷を愛し、2020年シーズンこそ外野の一角をまた担ってくれることを信じている。夏場鬼神のごとくライトスタンドにホームランを放ちまくった2013年、盗塁王を獲得した2014年、骨折をおしてチームに戦う姿を見せた2016年。自らの本塁送球が大きくバウンドし、日本一を逃した後グラウンドに崩れ落ちた2017年。

 

 

 

 

 

梶谷はチームに勝利をもたらす選手であることをファンは知っている。

 

 

 

 

ファンの梶谷への期待値はもっともっと高いところにある。32歳、現役生活があと何年か考える歳でもある。でも今一度、ファンが想像もしていないような「新たな歴史にその名を刻む」成績を残してくれるはずだ。

 

 

 

 

梶谷は熱い男だからだ。