公認会計士はNumber風にベイスターズを語る

公認会計士の中で最も横浜ベイスターズファンと自負するファンがひたすらベイ愛を語るブログ。ただそれだけ。

野村克也氏の訃報にあたりベイの伊藤光捕手について語りたい

 

突然のトレード

 

 

 

2018年7月10日、ベイスターズに衝撃的なトレードの報道が流れる。

 

 

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オリックス伊藤光捕手、赤間謙投手⇔ベイスターズ白崎浩之内野手高城俊人捕手の2対2の交換トレードだ。

 

 

 

この時点での大半のDeファンの心境は加入してくる伊藤捕手、赤間投手への関心ではなく、チームを去る白崎と高城への寂しさだ。二人は絶対的レギュラーは掴み取れなかったものの、1軍の試合にたびたび出場しては渋い活躍をするチームの人気選手だ。

 

 

 

一方で加入してくるオリックスの2選手はパリーグということもあって特に知らない選手だ。しかし少し調べてみるとわかるが伊藤光捕手は2014年にベストナインゴールデングラブ賞、最優秀バッテリー賞に輝いたこともあるかつてのオリックスの正捕手だったようだ。

 

 

 

そうか、2000年代以降低迷を続けるオリックスが序盤から無類の強さを発揮するも最後ソフトバンクに逆転優勝を許し2位で終えたあの2014年、オリックス正捕手だったのがこの伊藤光捕手なのだ。

 

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年齢もまだ29歳と若く、捕手としてはまだまだこれからの時にトレードで出されたかつてのベストナイン伊藤光。彼の野球人生はどのようなものだったのか。

 

 

 

 

若くして大きな怪我を経験したオリックス時代

 

 

 

伊藤光は名門明徳義塾高校卒業後、2007年高校生ドラフト3位の指名を受けてオリックスバッファローズに入団する。球団の期待値は高く、1年目から2軍でチーム最多40試合でマスクを被り、シーズン終盤の2008年9月13日の日ハム戦で1軍デビューを果たす。高校生ドラフト野手が1年目から1軍の試合に出させてもらえるのは球団の期待の表れと2軍でのパフォーマンスの高さを示すもので、伊藤光は順調なプロ野球キャリアの滑り出しを迎えたと言っていい。

 

 

 

しかしプロ2年目となる2009年シーズン、キャンプからオープン戦まで1軍に帯同していた伊藤光は急激な腰痛を感じ、椎間板ヘルニアと診断される。4月14日椎間板ヘルニア除去手術を受けるも、心配された左足の痺れ及び麻痺が残りまともに歩くことさえ出来なくなってしまい、ここから長いリハビリ生活を送ることになる。

 

 

リハビリ生活を続けたが回復は見られず、手術から5か月が経ち2009年シーズンが終わりを迎える頃になってもランニングすら出来ず、病院を転々をするという日々だったという。後に伊藤光はこの頃は「このまま終わっていくんだろうな」と思っていたと語っており、実際に引退を迎えてもおかしくはなかった。

 

 

しかし手術から1年1か月が経った2010年5月、あるトレーニング施設との出会いが転機となる。テレビで何気なくみた脊椎損傷者専門のトレーニングジムに藁をもすがる思いで訪れた伊藤光は、ここでのリハビリで脅威の回復を見出し、2か月で2軍公式戦出場が出来るまで回復する。2軍での猛アピールを続けシーズン終盤には2年ぶりに1軍の試合に2試合出場し、完全復活を遂げる。この時まだ21歳である。

 

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翌2011年、1軍で開幕を迎え伊藤光は2011年4月13日プロ初ヒットをマークする。一塁ベース上で大きく手を叩くその姿は、リハビリ生活がいかに酷だったかを語っている。

 

 

 

 

その後2011年で66試合、2012年で66試合に出場し、正捕手争いを繰り広げることとなるが、2013年正捕手の座を掴み取る。137試合の出場を果たし、打率.285、安打117、打点40の好成績を残す。

 

 

 

2014年においては好調なオリックスを牽引し137試合の出場、打率.257、安打92、打点48ながらもチーム防御率1位を支えたことが評価されベストナインを獲得する。

 

 

 

完全にチーム正捕手としての地位を築いたかのように思えた伊藤光だったが、2015年以降は出場試合数が減少していく。原因は「リード面課題」や「首脳陣との確執」といった定かではない情報が飛び交っており、いわゆる「干されている」状態だったが真相は定かではない。しかし、2014年にベストナインを獲得した正捕手が極端に成績を落としたわけではないにも関わらず、出場試合が減少し、成績が劣る若い捕手が優先的に起用されていたり、サードにコンバートされたことは事実である。

 

 

 

 

伊藤光の加入で確かに変わったベイスターズ

 

そんな中2018年シーズン途中でベイスターズに移籍した伊藤光だったが、Deファンの心を掴むのに時間はかからなかった。打撃面に難があるベイスターズ捕手陣の中で、力強い豪快なバッティングはファンを魅了した。扇の要として投手陣を牽引し完封・完投数は増え、ゲームセットの後にマウンドに駆け寄り投手を抱擁してねぎらうその姿は「光ハグ」として話題を集めた。

 

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2018年こそ慣れないチームとリーグに成績は見栄えしなかったが、2019年伊藤光は実質上正捕手の座を守り、チームが苦しい時も好調な時もチームを支え続けた。この男がいなければ2019年シーズンのベイスターズはどうなっていたのだろう、そうファンに感じさせる存在・地位を確立していった。

 

 

 

チームは序盤10連敗を喫するなど最下位に低迷していたが、梅雨明けあたりから好調を維持し、7月半ばからは単独2位をキープしていた。その間伊藤光はその大半の試合で先発マスクを被り、ファンは伊藤光と共になら21年ぶりの優勝を見せてくれるのではないかと期待し、勝負の8月に入っていこうとしていた。

 

 

 

しかし、7月30日ヤクルト戦9回の守備中、相手バッターのファールチップを受け伊藤光は左手薬指を剥離骨折する。チームは中心選手がいなくなったことで士気を高め、8月上旬は好調を維持し一時は首位巨人まで0.5ゲーム差までその差を縮めたが、その後失速。伊藤光が戻ってきたのは優勝の望みは限りなく薄くなった9月上旬だった。チームは2位に終わった。

 

 

 

 

 

あの電撃トレードで「救われた」のは誰か

 

 

伊藤光はこの年2019年のシーズンオフにFA権を取得した。

 

 

 

自分の意思で来たわけではない球団。楽しそうに野球をやっていたようには見えても本人の気持ちは知る由がない。FA権は選手だけに与えられる球団選択の権利だ。

 

 

 

 

ファンはベイスターズに残ってくれるだろうという気持ちと他球団に移籍してしまうかもしれないという気持ちの半々だった。選択の権利は彼にある。それでもファンは伊藤光にメッセージを送り続けた。

 

 

 

 

 

伊藤光の出した結論は「残留」だった。

 

 

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球団を、ファンを好きと言い、「残留」を選んでくれたことをファンは純粋に喜ぶ。また伊藤光はこの選択についてこんな発言をしている。

 

 

 

 

 

ベイスターズに救われました」

 

 

 

 

この言葉に対し三原球団社長が返した言葉はファンの気持ちを代弁していると言っていい。

 

 

 

「いや、お前に救われたんだよ」

 

 

 

 

 

伊藤光のこの発言はケガのことを指すのか、オリックス後期の冷遇時代を指すのか、はたまた野球人としての感謝を表す言葉なのかは定かではない。しかしこの発言はファンの心に響き、ファンと伊藤光が一体となり、この男と一緒に優勝したいとファンが強く思ったことだけが確かなのだ。

 

 

 

 

長いプロ野球人生で怪我を乗り越え、人間関係を乗り越え、自分の意思とは違うところで移籍した球団、そこで出会った選手とファン。オリックスでは成し得なかった優勝をベイスターズで。ファンが大好きな捕手伊藤光が優勝のウイニングボールを掴んでマウンド上で投手を抱擁する瞬間を、見てみたい。